夢のかたち~Gone With The Dust~

from Rene Francois Ghislain Magritte_The ready-made bouquet
from Rene Francois Ghislain Magritte_The ready-made bouquet posted by (C)トロイ


 その喫茶店は駅裏の古びた雑居ビルの地下1階にあった。暗い階段を下りきると、右側に入口があった。ドアを開けて中に入るやいなや、かび臭い空気が鼻腔を刺激した。それは、手拭きとして出される熱いタオルを鼻に当てたときにぷーんと臭う、あのすえたような臭いに似ていた。

 店は電車の車両のように細長かった。幅は2mほど、奥行きは10mほどだった。壁にはフェルトのような暗緑色の壁紙が貼られていた。壁紙のあちらこちらに大きな染みがあり、見ようによってはムンクの「叫び」のような顔に見えるものもあった。4人がけの古びた黒い木製のテーブルが5卓、ピタリと壁に張り付いたように置かれていた。
 客はいなかった。奥の壁にピタリと引っ付いたように置かれている業務用のエアコンが冷風を噴き出しながら、かび臭い空気を掻き混ぜていた。

 私はエアコンのそばのテーブルに席を取った。エアコンの風がテーブルの表面に反射して、私の顔を撫でながら頭の上を通り過ぎていった。
 オーナーだろうか、某ジャズシンガーに何処か似ている白髪の男がメニューと水を持ってきて、テーブルの上に無造作に置いた。コップの水がその濁りを深めるかのように揺れていた。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりと、どうぞ」
 霧の中から聞こえてくるような声だった。まるで言葉が壁紙に吸い込まれていくかのように、男は奥のキッチンのほうに戻っていった。

 私は赤茶けたビニールカバーのメニューを開いた。
「ある!」私は思わずつぶやいた。
 それを耳にしたのか、男がオーダーを取りにきた。私は<デスカフェ>を注文した。

 ものの1分も経たないうちにオーダーしたものがテーブルに置かれた。褐色のカップとソーサー。紫がかったチョコレート色の液体から甘いアロマがゆらゆらと立ち上っていた。私はカップを手に取ると、おもむろに口をつけた。ビター・スィートの痺れるようなテイストが口中に広がっていった。

 三口目あたりから、私は冷房の風を生温く感じるようになってきた。省エネのために送風に切り替わったのだろう、そう私は思った。エアコンの風の音に混じって、男の声が聞こえてきた。
「死神の存在を信じていますか。<死神?…見たことも会ったこともないものをどうやって信じろって言うんだよ>。あなたはそう思っていますね」
 私はなにか言おうとしたが、舌が痺れてしまったのだろうか、口をきくことができなかった。
「あっ、やはり、あなたは死神を信じてはいない。あなたが気がつかないだけなのです。死神は人々の周りにいて、乗り移りやすい人を探しています。死神はそれと分かってしまうような姿をしていません。後ろにいる人が実は死神かも知れませんよ」
 ぎょっとして私が振り向くと、いつの間にか、ウエディング・ドレスの女性が後ろのテーブルの席に座っていた。私の背筋を冷たいものが走った。その女性にはどこかしら見覚えがあった。

「知っている人が死神だった、ということがよくあるのです。両親だと思っている人たちが実の父母ではなく、妻だと思っている女性が妻ではなく、友人が友人ではなく…みな死神だとしたら」
「……」
「バカな、そんなことあり得ない。そうあなたの顔に書いてあります。死神の存在を信じていない人が多いほど死神にとっては乗り移る人を探し出しやすいのです。身近な人に乗り移れば、死神であることを知られずにすむ…そうは思いませんか?」
 私は言葉を発しようとしたが、言いたいことが喉に張りついてしまってどうしても言葉にならなかった。

 エアコンから吹き出す風向きが変わったようだ。

「ある日、突然、人が何の痕跡も残さないでその姿を消してしまう。その人がどこかで生きているのか、それとも死んでしまっているのか、生死さえも分からない。昔はそれを神隠しにあったと言っていました。人間蒸発だとか、近頃ではUFOに乗ってやってきたエイリアンの仕業だとも言われている、あれです」
 男が何を言いたいのか、私には分からなかった。

「あれは<神隠し>ではなく、<死神隠し>なのです。<死神隠し>を出来るのは、死神の女王ただひとり。もちろんエイリアンの仕業などではありません」
(死神は男だろう。それを女王だなんて…ミツバチじゃあるまいし)
 声を出せないままだが、私の脳が働き始めてきた。

「死神隠しにあった人の魂はあの世で死神の仲間になります。魂は姿かたちのないまま、あの世を彷徨い続けなければなりません」
(さまよえる魂だなんて、いまさら…)
「この世からはあの世を見ることはできませんが、あの世からはこの世を見ることができるのです。あの世からこの世を眺め、この世の家族などにしてやりたいことがあっても、なにもできません。話しかけることさえできないのですから、それがどんなに辛いことなのか」
(やれやれ、抹香くさい精神論かよ)

「ま、それはそれとして、あの世で死神の仲間になった魂はこの世で乗り移る人を探しています。一定の時間内に人に乗り移れなかった魂は、暗い冥府を彷徨いながら、やがてはあの世からも消えてしまう。これは魂にとってもたいへん怖ろしいことなのです。その魂は、できるだけ早くこの世の人に乗り移ろうとします。そして、冥府を彷徨う魂がこの世に再び戻るときにひとつだけ制約があります。男性の魂は男性に乗り移ることはできません。女性の魂も女性には乗り移れません」
(だから、どうしたっていうんだ)

「死神になった魂に乗り移られた女性はすでに女性ではなくなっています。乗り移られた男性もすでに男性ではありません。あの人の性格が変わったとかあの人に騙されたとか…よく言われるでしょう。この世の人々はその人たちがまったくの別人になってしまっているのに気がつきません。そして、自分自身さえもいつのまにか別人になっていることすら気がつかないのです。死神の女王の<死神隠し>は見事なまでに成功しています。個人の諍いなどが民族や国の争いになり、テロや戦争になればそれこそ死神の女王の思うつぼにはまってしまいます。核戦争が勃発すれば、死神の女王の高笑いがこの地球上に鳴り響くでしょう」

 私の脳細胞が再び霧に包まれ始めた。ぼーっとして天井を見上げると、暗い天空から吊り下げられた大きな剣の刃先が間近に見えた。刃先からは時々稲妻のような光が奔った。剣は核弾頭を搭載したミサイルが姿を変えたものに違いない、そんな気がした。
 ノストラダムスの予言は外れたが、地球を滅ぼしてしまうような核戦争の恐怖はまだまだ私たちの頭上にぶら下がっている。そんな思いに私は捉われ始めた。
(すべては死神の思うつぼっていうわけか。…アポカリプス。地獄の黙示録…)

「死神の女王について、あなたは知りたくなった。そんな顔をしていますよ」
 私の心の動きを見透かしたように、男の声がまた語りかけてきた。
「死神の女王がどんな姿をしているのか、それは誰も知りません。男の姿をしているときもあり、女性のこともある。あるときは老人だったかと思うと、次のときには子供の姿をしていたり…。死神の女王がどのようにして<死神隠し>を行うのか。その話はあまりしたくありません。というよりは、知らないほうがよいでしょう」
 ダメだと言われると聞きたくなってしまう。
「どうしてもお知りになりたい。そうですか。ま、いいでしょう。その話をする前に、アドバイスをさせてください」
(変にもったいをつけるなぁ)
 私には男の言葉のトーンが変わってきたような感じがした。 
「その人が死神に乗っ取られているかどうか、その見分け方をお教えしましょう。きっと役に立つはずです」

 私は私の後ろの席に先ほど現れたウェディング・ドレスの女性のことが気になリ始めていた。
 彼女の肉体も死神に乗っ取られていたのだろうか。そうだとすると、彼女はもはやリアルな女性ではなく、他の男性の魂を持った女性の肉体的存在ということになる。彼女になにかしら変化を感じ取ったフィアンセが抗いがたいマリッジブルーになってしまい、結局、婚約が破棄されてしまったのだろうか。でも、あの女性に見覚えがあるのはなぜだろう。
 
「いいですか。まず、その人の左目を見つめるのです。左目ですよ。食い入るように見つめていると、あることに気がつくはずです。それは人間とは眼の色が違うとか、眼が異様に光って見えるとか、そんな映画の中のようなことではないんです。死神かどうかを見きわめるこつはその人の瞳孔の奥を見ることにあるのです。瞳孔の奥に小さな白いされこうべが見えれば、その人は死神です。死神の女王の場合はされこうべの瞳孔の奥にさらに小さな白いされこうべが見えると言われています」

 そんな子供だましのような話のどこがアドバイスになるのだろうか。この男の声がなぜ聞こえてくるのだろう。考えてみれば妙なことだらけだった。私が男の話に疑問を抱き始めたとき、私の思考の回路がショートしてしまった。

「どうです。ためしにこの眼を覗いて見ませんか。なにも取って食おうなんて言っているのではありません」
 エアコンの風がスクリーンのようになって、私の眼の前に大きな眼が映し出された。その眼には見覚えがあった。
(ルドン?!)
 「眼の気球」に描かれているあの眼にそっくりだった。眼の向きが変わって、私と視線があった。なにかに誘われるように、私はその眼に見入ってしまった。

「そう、それでいいのです。この眼の瞳孔の奥に何か映っているでしょう。…なにも見えませんか。半信半疑で見つめているのでは、いつまで経ってもされこうべは見えません。されこうべを見てみたかったら、まず、死神がこの世に存在すると信じることです。死神の女王を見分ける能力が自分にはあるのだ、そう自己暗示をかけることです」
 催眠術にかかってしまったように、私は食い入るように瞳孔の奥を見つめた。

「念力でスプーンを曲げるのをテレビなどで見て、それを試してみたことはありませんか。あの調子です。余計なことは考えないで、精神を一点に集中し、さあ、もう一度」

 ぼんやりとだが、瞳孔の奥に白い斑点のようなものが見えてきた。
「さあ、いかがです。まだ見えませんか。この眼の瞳孔の奥に白いされこうべが…」
(見えた!あれがされこうべか)
 その途端、周囲が様子が一変した。
(ここは、どうも喫茶店ではないらしい)
 私は不安に襲われた。

「よかった!やっと見えたようですね。これで、私の仲間になりました」
(なかま?)
「なんの仲間なのかよくわからない、ですって。困りますね、そんなことでは。たったいま、魂の<死神隠し>が起こったのです。あなたはいまあの喫茶店の座席で幽体離脱の状態になっています」
(幽体離脱だって!)
「先ほど、あなたは私の左目の瞳孔の奥にされこうべを見ました。それは死神の仲間になったあなたの姿が私の瞳孔の奥に映っていたのです。自分のされこうべを見た瞬間、あなたの魂はこの世から消えてしまった。あなたの肉体は、いまや、私のもの。そうです。これが<死神隠し>のひとつ、死神による<possession>です」

 私は死神のトリックにまんまとハマってしまった。このまま私は光のない冥府を彷徨い続けなくてはならないのだろうか。

「乗り移れそうな女性を早く探さないと、あなたは姿かたちの無いまま冥府を彷徨い、ついには暗黒の冥府の塵となって永久に消え去ってしまいます。グッド・ラック、マイ・フレンド!」
(じ、時間は、どれくらい?)
「……」
 返事はなかった。


 遠くで聞き覚えのある私の声がした。

「あなたは、もう、この世にはいないのです。…あなたは、もうこの世には…。あなたは…早く探さないと、…冥府の彼方(あなた)に…。…彼方に…。……」


from M.C.Escher_Oog(Eye)-02
from M.C.Escher_Oog(Eye)-02 posted by (C)トロイ



追記:

*私のHP『夢幻のスペース・オデッセー』に載せたものを少し手直ししました。

 夢幻のスペース・オデッセー

HPにも来ていただけると嬉しいです。


*心象風景の画像のある「夢幻のOdyssey(オデッセー)」と「for BLOG_心象風景」はこちらです。↓

  夢幻のOdyssey(オデッセー)

  for BLOG_心象風景

他の画像も見に来ていただけると嬉しいです。

Thank you!
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Re: No title

トロちゃんさん
どうもありがとうございます。

私の書くものは暗いものが多いので、今様のライトなものではありませんよね。

にもかかわらず、最後まで読んでいただいて嬉しいです。

> 死神に好かれたのかしら?
>      困る~

こんなものを書いてる私は、
もっと、困る~…ですかねぇ(^^♪

No title

ちらっと読んで・・
あまり読みたくはなかったけど・・
夢中で・・
ラストまで読んでしまいました!
死神に好かれたのかしら?
     困る~
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KJYD

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どうもありがとう。


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 よろしくお願いいたします。

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