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『うそっぷ迷所窮蹟』ガイド(24)~新馬場駅商店街界隈(寺社)~其之勒_善福寺

善福寺


 ここの善福寺は時宗。
 
 時宗の総本山は藤沢の遊行寺。↓

  *遊行寺 

  *時宗(宗教)


 そして、"時宗"と言えば、鎌倉幕府の第8代執権だった北條時宗の名が思い浮かぶ。↓

  *北條時宗(wiki)



 参道に置かれている、なにやら意味あり気な(?)なドラム缶。↓


善福寺-01山門・本堂a
善福寺-01山門・本堂a posted by (C)トロイ


 それもかなりの年季がはいっているように見える。


 そして山門からは…。↓


善福寺-01山門a(1-4)
善福寺-01山門a(1-4) posted by (C)トロイ


 境内に足を踏み入れるものに対して、本堂が睨みをきかせている。 

 この本堂を人の顔に例えるなら、一般的に見られる本堂とはかなり違った異邦人まがいの顔に見えてくる。

 どこか異郷の地の異教の寺院の統べる異境に設けられている山門(エントランスあるいは検問所)から見える異様な異邦人の顔。


 かの地では、早起きしても三文の得にも、徳にもなりそうもない。



異郷のひと-02 from 善福寺_山門
異郷のひと-02 from 善福寺_山門 posted by (C)トロイ


 山門を入ると、私自身もひとつのモノとして、本堂の外観から受ける境内の寂れた雰囲気にすっぽりと包み込まれてしまった。

 まるで、この世から隔絶された廃寺の世界に迷い込んでしまった感がある。


 誰かが…そんな私を見つめている。
 
 見つめている。



善福寺-02本堂b(1)
善福寺-02本堂b(1) posted by (C)トロイ


 本堂は、土蔵造り(?)ならではの趣で、どっしりとしている。
 
 なにものにも、なにごとにも動じない感がある。

 ちなみに、善福寺の開闢(かいびゃく)は永仁2年(1294年)とのことだ。


 この本堂がその当時からのものなのかどうかは、私にはわからない。

 ただ、屋根の表面は当時のものではないトタン屋根(?)になっているようだ。

 雨による本堂の傷みを少しでも軽減するためなのであろうか。



善福寺-02本堂a(2)
善福寺-02本堂a(2) posted by (C)トロイ


 残念ながら、永年に渉って風雨に曝されてきたため、本堂の表面上の状態は芳しくない。

 本堂に掲げられている額の寺号あるいは山号の文字も読めないほどだ。


善福寺-02本堂c(3c)
善福寺-02本堂c(3c) posted by (C)トロイ



 土蔵造りを活かした鏝絵(こてえ)もかなり傷んでいるので、往時の状態を偲ぶことしかできないが、それでも長八の鏝絵のすごさはいまもなお直に伝わってくる。↓


善福寺-本堂(長八の「こて絵」)a-2
善福寺-本堂(長八の「こて絵」)a-2 posted by (C)トロイ


    *編集・加工してあります。


  *伊豆の長八



 本堂の下に置かれている大きな卵のような石。↓


善福寺-03本堂_玉石の卵?
善福寺-03本堂_玉石の卵? posted by (C)トロイ


 意味あり気な石の佇まい。

 "彼岸"と"此岸"の不思議な"縁"(架け橋)を感じさせるものとしてこの世にもたらされたかのような石。

 なんのために、ここに、こんな風にして安置されているのだろうか。


 この石が、もともとこの容であったのなら、まさに天からの賜物かもしれないし…。


 あるいは、寺の建立にあたって、地中を掘り下げていった際に出土した稀有な種類の石なのだろうか。
 
 その稀有さを、このような卵のような形としてさらに整えたうえで、時間をかけて丹念に磨き上げ、末永く世に伝えることにしたのかなぁ…などと、想ったりもした。

  

善福寺-05
善福寺-05 posted by (C)トロイ


 山門を入ると、右側にあるお堂。

 祀られているものがわからない。

 稲荷神社ではなさそうだし、…。

 地蔵堂?

 閻魔堂とも思えない。



善福寺-02山門b
善福寺-02山門b posted by (C)トロイ


 本堂のイメージとはまったく違うもうひとつの善福寺の情景。


 この樹が周囲にもたらす"生"の息吹きに、私が境内で受けた異邦人としての緊迫感や寂寥感は共に和らいだ


 参道の道端に置かれているドラム缶が、善福寺の境内が醸し出すこの世から隔絶されたかのような雰囲気と妙に(?)呼応しているのが不思議だった。


 ドラム缶を連ねたボートで、次なる心の旅の大洋に、さぁ、出港!




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『うそっぷ迷所窮蹟』ガイド(23)~新馬場駅商店街界隈(寺社)~其之伍_法禅寺

法禅寺


 山門の左側に『品川小学校発祥之地』の碑がある。


from 法禅寺_山門・碑(品川小学校発祥之地)-01
from 法禅寺_山門・碑(品川小学校発祥之地)-01 posted by (C)トロイ


 『開校 明治七年三月吉日』。

 品川区内で最も古い品川小学校の開校。

  
 小学校低学年のころ、校庭で遊んでいたら、『君は尋常小学校何年生?』、と見知らぬ人に話しかけられて、面食らったことがある。

 私が通っているのは、"○○小学校"で、<尋常>小学校という校名ではなかったからだ。

 父にそのことを話したら、以前は小学校のことを尋常小学校と言っていたのだということだった。

 "尋常"という意味も解らぬまま、私は父に"じんじょう"という漢字を教えてもらった。


 いまになっても、私には、なぜ、"尋常"小学校というオフィシャルな名称がつけられたのかがわからない。



法禅寺_お堂と杉森稲荷の鳥居-02b(3)
法禅寺_お堂と杉森稲荷の鳥居-02b(3) posted by (C)トロイ


 山門を通ると、本堂に向かって右側にお堂と赤い鳥居がある。

 鳥居は杉森稲荷。↓


法禅寺_杉森稲荷-04b
法禅寺_杉森稲荷-04b posted by (C)トロイ


 一種のジオラマ的な稲荷神社で、意外性に富んでいる。

 厳しい巌の参道を上って稲荷社(中央上部)にて参拝するという設定だ。



 本堂に向かって左側には、板碑覆堂。そして、六地蔵と納骨堂、さらに流民叢塚碑がある。


法禅寺-05流民叢塚碑・納骨堂 & 板碑覆堂
法禅寺-05流民叢塚碑・納骨堂 & 板碑覆堂 posted by (C)トロイ


法禅寺_板碑覆堂-01c
法禅寺_板碑覆堂-01c posted by (C)トロイ


法禅寺-03a
法禅寺-03a posted by (C)トロイ



 お地蔵さんも。


法禅寺-04f(2)
法禅寺-04f(2) posted by (C)トロイ


 こちらは、六地蔵。↓


法禅寺-06六地蔵a(3)
法禅寺-06六地蔵a(3) posted by (C)トロイ


 三体ずつ納骨堂の前に(流民叢塚碑の下に)に並んでいる。



 本堂。

  布袋尊像。↓


法禅寺_本堂-04b
法禅寺_本堂-04b posted by (C)トロイ


*東海七福神めぐりは、ここ法禅寺ではなく、布袋尊像が安置されている養願寺。



法禅寺_本堂c
法禅寺_本堂c posted by (C)トロイ


 法禅寺と言えば、かつて大ヒットした歌謡曲があった。

  包丁一本 晒しに巻いて
  旅へ出るのも 板場の修業

 ただし、この歌の舞台は大阪。

  法禅寺横丁


 トリで脱線、転覆。てんぷくトリオのトリ路地~。




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『うそっぷ迷所窮蹟』ガイド(22)~新馬場駅商店街界隈(寺社)~其之四_養願寺

養願寺


 一心寺の向かい側にある横道を入って行くと、養願寺がある。

 お寺としては地味な印象を受けるが、それがこの寺のよさなのかもしれない。



from 養願寺_東海七福神(布袋尊)-本堂a-02
from 養願寺_東海七福神(布袋尊)-本堂a-02 posted by (C)トロイ


 創建は正安元年(1299年)と伝えられている。

 本尊は虚空藏菩薩。
 虚空藏菩薩を本尊とする寺院は都内ではここだけらしい。
 
 また、東海七福神の布袋尊も安置されている。



養願寺_東海七福神(布袋尊)-本堂a
養願寺_東海七福神(布袋尊)-本堂a posted by (C)トロイ


 柿食えど鐘の鳴らざる養願寺。

 閑かさや空にしみいる樹々の声。

 

養願寺_東海七福神(布袋尊)-05本堂d(2)
養願寺_東海七福神(布袋尊)-05本堂d(2) posted by (C)トロイ


 本堂のある玄関には大きな草鞋がかけてあった。

 浅草寺や目黒不動でも、『ガリヴァー旅行記』に出てくる"ブロブディンナグ国"の巨人たちが履けるような大きな草鞋を目にしたことがある。

 邪悪なものたちは、大きな草鞋を目の前にして、"ここはヤバい!"と尻尾を巻いて退散する破目になるのであろう。



祈願_養願寺_東海七福神(布袋尊)本堂-01
祈願_養願寺_東海七福神(布袋尊)本堂-01 posted by (C)トロイ


 『身体健全』
 参拝者たちの祈願のローソク。


 『健全なる精神は健全なる身体に宿る』。

 日本では、ユウェナリスの『風刺詩集』のなかで述べられている言葉のほんの一節の、さらにはその一部分だけが抽出され、そして意訳(?)された上記のことばが成句として一人歩きを始める。

 ときには、国是として大いに利用されたりもした。

 太平洋戦争後も、ユウェナリスが本来意図したものとはズレたかたちのままに広まり、多くの人が知っている意義のある成句としていまに至っている。


  よろしければ、こちらのwikiのページをごらんください。↓

   wiki ユウェナリス



養願寺_東海七福神(布袋尊)-05本堂b(2-2)
養願寺_東海七福神(布袋尊)-05本堂b(2-2) posted by (C)トロイ


 胎児をやさしく包み込む母胎の世界のような感じもする本堂の内陣。

 母胎を感じさせてくれる本堂であれば、慶弔の参列などの苦手な私でも、法要の堅苦しさをそれほど感じないでいられるだろうし、読経や焼香も緊張せずにできそうだなぁ、と想った。

 

柵(しがらみ)-02a
柵(しがらみ)-02a posted by (C)トロイ


 生きて行くにはさまざまな"しがらみ"がついてまわる。


 "心"に負担をもたらす"しがらみ"に捉われてしまうと、"心"が自由に飛翔できなくなってしまう。


 どのように"しがらみ"と向き合うか。
 
 "しがらみ"をいかにして"断捨離"していくのか…。

 簡単にできるようでできないのが"断捨離"。 


 ともあれ、少しでも佳き明日に向かって…。




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『うそっぷ迷所窮蹟』ガイド(21)~新馬場駅商店街界隈(寺社)~其之四_日夜山正徳寺


日夜山正徳寺

 
 江戸時代に、"正徳(しょうとく)"という年号がある。

 西暦1711年~西暦1716年間で、中御門(なかみかど)天皇の代にあたる。


 正徳時代には、こんなことがあったとweblioのページに述べられていた。↓

  正徳2年(1712年)9月、新井白石は勘定奉行の荻原重秀を罷免に追い込み、度重なる秤量銀貨吹き替えによる混乱を是正しようと、慶長の幣制へ復帰するべく吹替え(改鋳)に着手した。 

 「グレシャムの法則」の"悪貨は良貨を駆逐する"が、日本でも当てはまる時代があったということだ。



日夜山正徳寺_山門・本堂-01
日夜山正徳寺_山門・本堂-01 posted by (C)トロイ


 日夜山正徳寺の山門から本堂に至るまでの両側は高い建物によって狭められいて、寺院の境内としての厳かな空気感が損なわれてしまっている。

 民間の建物の間を本堂に向かいながら、なにかしら、寂しさのようなものに私は捉われた。


 境内に幼稚園を併設しているのはまだしも、20世紀の後半あたりから、お寺さんがマンションを建てたり、境内の一角を売却したり…。

 時代の流れとは云え、"花より団子"を選択せざるをえないお寺さんも出てきている。


 一般的には、檀家の実質的な減少に加えて、日常生活の中での宗教離れなど、お寺さんにとっては厳しい状況になってきているようだ。

 そんな中でも、寺院の催す伝統的な行事は、客寄せパンダのイベントとして大賑わい…。



日夜山正徳寺-04b
日夜山正徳寺-04b posted by (C)トロイ


 品川区にある正徳寺は、永仁6年(1298)に善永寺と号して創建され、延宝3年(1675)に正徳寺と改められたとのことだ。



日夜山正徳寺-03本堂b(5)
日夜山正徳寺-03本堂b(5) posted by (C)トロイ


 ご本尊は阿弥陀立像。定朝(じょうちょう)作。


 "あみだ"と謂うと、子供のころに"あみだくじ"を作って遊んでいたことを思い出す。

 なぜ、"あみだくじ"と言われているのかは知らなかった。


 wikipediaによると、

  あみだくじは、室町時代から行われていたが、現在のあみだくじと違い、真ん中から外に向かって放射線状に人数分の線を書いて、それを引いたものであった。これが阿弥陀如来の後光に似ていたことから「『あみだ』くじ」と呼ばれるようになった。

 とのことだ。

 なるほど。
 

 人生は"あみだくじ"に似ている。

 いろいろな局面で、先に進むための線(道)の選択をしながら、隠されている結果に向かって線(道)を進んで行く。
 


日夜山正徳寺-05c
日夜山正徳寺-05c posted by (C)トロイ


 できることなら、

 "偕老同穴"。

 "お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで"。


 ふたりで巡る ふたりの回廊。
 


日夜山正徳寺-06a(2)
日夜山正徳寺-06a(2) posted by (C)トロイ


 仏塔に置かれた誰がための 小さな仏像。

 
 信心のかたちは、時に、独善。

 すがりたい気持ちはわかるが、自己満足。

 
 "正徳"とは無縁の祈願のかたち。

 信心という名の下の、自己欺瞞。

 

黎明-01 from 日夜山正徳寺
黎明-01 from 日夜山正徳寺 posted by (C)トロイ


 ひとの世に

 重複する暗部の重さ。


 昏き世に

 黎明の希望の光。



from 日夜山正徳寺-05c
from 日夜山正徳寺-05c posted by (C)トロイ


 ♪草津よいとこ 一度はおいで♪
 ♪天国よいとこ 一度はおいで♪(from 「帰って来たヨッパライ」)
 
 リフレインする女声によるカンタータ。

 吾が脳細胞は桃色に。


 ヤバい、ヤバいぞ、夜這いはヤバい。




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『うそっぷ迷所窮蹟』ガイド(20)~新馬場駅商店街界隈(寺社)~其之参_一心寺

一心寺


 "一心"と言えば、『一心不乱』がパッと頭に浮かぶ。


 言葉遊びで、その『一心不乱』を『壱芯腐乱』に書き変えてみるととんでもないイメージになってしまう。

 ものごとの芯(いわば核)となるものが腐乱していると、そのものごとはうまく運ばないという状況になる。

 やること、なすことがすべて意に反した結果につながってしまう。

 『一心不乱』に取り組めば云々などと、呑気なことは言っていられなiい事態にまでなってしまう可能性もあるのだ。

 

一心寺_山門-01a
一心寺_山門-01a posted by (C)トロイ


 品川観光協会のページによると、↓

  寺の由来には二説ある。
   1)寺伝によれば、江戸時代末期の安政2年(1855)に、大老・井伊直弼が「東海道第一の宿である品川宿で鎮護日本・開国条約・宿場町民の安泰を願え」との霊験を得て開き、町民代表の手で建立されたという。
   2)『品川町史』によると、安政2年に成田山分身の不動明王を本尊として、洲崎弁天境内にお堂を建てて安置したのが始まりで、明治2年(1869)に養願寺の境内に移されたが焼失し、明治18年(1885)に町内の有志が現在地に再建したとされている。


 井伊直弼が大老として一心に取り組んだものごとが因となり、、結果的には、桜田門外で井伊直弼は暗殺されてしまう。



from 一心寺_東海七福神(寿老人)-08正月b(2)
from 一心寺_東海七福神(寿老人)-08正月b(2) posted by (C)トロイ


 一心寺は商店街にある寺院としての纏まりがあり、周囲の環境にうまく溶け込んでいると思う。

 それが、寺院と言う厳かな範疇を越えて、親しみやすさにもつながっているようだ。



from 一心寺-02e
from 一心寺-02e posted by (C)トロイ


 もちろん、寺院としての厳かさも有している。

 私好みの、とても佳い雰囲気のお寺だ。



一心寺_山門-01c
一心寺_山門-01c posted by (C)トロイ


  隔世の道よ 禅林の淑気

 覚醒への途よ 克己への光芒



from 一心寺本堂(内陣)-02
from 一心寺本堂(内陣)-02 posted by (C)トロイ


 しばし俗世を離れ、心の静寂の世界へ。



from 一心寺_本堂-02b
from 一心寺_本堂-02b posted by (C)トロイ


 俗世では、神も仏もないもないと思われるようなことも生起することがある。



一心寺_山門-02a(4)
一心寺_山門-02a(4) posted by (C)トロイ


 ネガティブな状況の中で、それに負けぬポジティブなエナジーが織りなす新たなる世界への途。

 昏い、遠い道のり。



from 一心寺_東海七福神(寿老人)-08正月b(3cが)
from 一心寺_東海七福神(寿老人)-08正月b(3c) posted by (C)トロイ


 そんな旅びとたちの道行に、佳いことがたくさんありますように\(^o^)/




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Alles Gute!

どうもありがとう。


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よろしくお願いいたします。

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 非表示になってしまった全ての画像をフォト蔵で再保存してブログに再表示させても、また、他の画像や同じ画像が非表示になってしまいます(T_T)

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